総聯映画製作所の歩み

■ 1945年10月   在日朝鮮朝鮮人連盟が結成され、本部に映画課が設けられ「朝連ニュース」の製作がスタート。

■ 1946年 4月   民衆映画株式会社を設立。これには在日同胞文化人と日本の著名な記録映画作家たちが参加。

■ 1947年10月   民衆映画株式会社解散。この年までに13本の「朝連ニュース」と2本の記録映画を製作。

■ 1949年      在日朝鮮人連盟も日本政府によって強制解散させられ映画製作も一時中断。

■ 1953年7月20日 総聯映画製作所の前身といえる在日朝鮮映画人集団が結成。

    朝鮮映画「故郷を守る人々」、「偵察兵」など、日本全国で上映活動を行う。

             総聯結成まで2年の間に「民戦ニュース」、「朝鮮の子」など2本の記録映画を製作。

■ 1955年5月25日 在日本朝鮮人総連合会の結成。

■ 1959年      ニュース映画「総聯時報」第1号製作。

■ 1959年6月    在日本朝鮮文学芸術家同盟(文芸同)の結成。

             在日本映画人集団は文芸同映画部となり、これ以後の「総聯時報」や記録映画の製作タイトルは文芸映   

           画部となる。

■ 1968年9月    「総聯時報」第50号製作。

■ 1973年4月    「総聯時報」第100号製作。

■ 1974年2月    文芸同映画部から総聯映画製作所と名称を改変。

■ 1974年12月   記録映画「花咲く民族教育」製作。

■ 1979年11月   記録映画「受難の歴史(過去を忘れまい)」製作。

■ 1985年2月    朝鮮映画代表団が来日。総聯と共和国の初の合作映画「銀のかんざし」の日本ロケが行われる。

■ 1985年8月    映画「銀のかんざし」製作。

■ 1985年6月    「総聯時報」第124号製作。以後、映画製作からビデオ製作へとシフトする。

             この年までに製作された記録映画は300編に達する。

■ 1985年10月   「総聯ビデオシリーズ」第1号製作。 以後、「総聯ビデオシリーズ」は1995年までに34本を製作。

■ 1987年9月    合作映画「母の願い」製作。

             9月にピョンヤンで行われた第1回「ピョンヤン国際映画祭典」で「銀のかんざし」が銅賞を授与。

■ 1992年4月    記録映画「総聯の輝かしい道」(全3部)製作。

             第3回 「ピョンヤン国際映画祭典」で「総聯の輝かしい道」が銀賞を授与。

■ 1999年      ビデオマガジン「エルファ」製作。

■ 2002年2月    ホームページ「エルファネット」開設。

■ 2013年5月    ホームページ「エルファテレビ」開設。